住宅ローンを残して夫が突然死した47歳主婦を待っていた、義父との「耐えがたい暮らし」

「まだ、こんなに残ってるの……」

由美は通帳と返済予定表を並べたまま、しばらく動けなかった。四十七歳。専業主婦。夫はある朝、出勤前に胸を押さえて倒れ、そのまま戻らなかった。

終わったのは夫だけで、その後のことは何も終わらない。葬儀、保険、銀行、名義変更。そういう手続きの合間にも、住宅ローンの残高だけはきっちりそこにあった。

そこへ夫の兄から電話が来た。

「親父のことなんだけどさ。一人じゃもう無理でしょ。しばらくそっちで見てもらえないかな」

相談の形をしていたが、断られる前提の声ではなかった。由美は口ごもった。夫が死んだばかりの人間は、自分の悲しみを片づけるだけで精一杯で、他人の都合まで跳ね返す力がない。

数日後、義父は小さなバッグ一つでやって来た。

「世話になる」

短い言葉だった。礼なのか当然なのか、よくわからない声だった。

「不幸ってやつは気が利いてる。泣く暇ができる頃に次をよこす。」

最初の三日ほどは、まだ何とかなるように見えた。

食事を出せば食べる。薬を渡せば飲む。少し耳が遠く、足元が危ないだけ。だが“少し”は毎日続くと重くなる。

「味が薄いな」

朝食のたびに義父はそう言った。昼は通院、夕方は買い物、夜は洗濯。その合間に銀行から連絡が入り、保険の書類が届き、役所へ確認の電話をする。

「おい」
「はい」
「薬はまだか」
「今、出します」
「トイレだ」
「すぐ行きます」

夜中の二時にも声が飛んだ。

「由美! 由美!」

駆けつけると、義父が真顔で聞く。

「ここはどこだ」

悪気はない。だから余計に逃げ場がない。

その週、銀行の担当者は静かな声で言った。

「団信の条件外であれば、返済は継続になります」

継続。きれいな言葉だった。要するに、夫がいなくても払い続けろということだ。

帰宅すると義父が言う。

「飯はまだか」

夫の死、ローン、介護。ひとつでも重いのに、こういうものは仲良く同じ戸口から入ってくる。

「追い詰める時の現実は親切だ。逃げ道をふさいでから本題を始める。」

深夜、由美は台所の椅子に座っていた。洗った皿、開いた返済予定表、半分残った麦茶。どれもきちんとしていて、その整い方がかえって腹立たしかった。

「しんどい……」

やっと出た言葉は、それだけだった。

夫を失った悲しみより、そのあと始まった休めない毎日のほうが由美を削っていた。看取ったあとに静けさが来るとは限らない。実際に来たのは、終わらない用事と、減らない残高だった。

隣の部屋でまた義父が由美を呼んだ。由美は立ち上がった。優しいからではない。行かなければ、もっと面倒になるからだ。

「人は、不幸より消耗で壊れる。」

やるべきだったのは、一人で全部背負うことじゃない。
ローンは銀行と早めに相談し、義父の介護は兄弟と分担を迫って、介護サービスも遠慮なく入れるべきだったってことさ。
悲しんでる人間に我慢まで上乗せすると、最後は誰の面倒も見られなくなる。潰れる前に頼る、それも立派な防衛なんだ。

※この記事は、社会で起こりうる問題への注意喚起を目的として構成した創作です。特定の人物・団体・出来事を示すものではありません。

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