「この子だけなら、何とかなる」
沙織は最初、そう思っていた。三十八歳。シングル。昼は派遣事務、夜は一人暮らしの部屋に戻るだけの毎日だった。駅前で震えていた子猫を拾ったのが始まりだった。
一匹なら飼える。そう思っていたところへ、知人が言った。
「この子、兄弟なんだって。離すの、かわいそうじゃない?」
その“かわいそう”は、ずいぶん滑らかに人の判断を鈍らせる。
「じゃあ二匹だけ」
沙織はそう言って引き取った。だが、保護猫界隈というのは、優しい顔で次の相談を持ってくる。
「一時預かりだけでいいから」
「この子は人馴れしてるし飼いやすいよ」
「もう行き場がないの」
二匹は三匹になり、三匹は五匹になった。気づけば、部屋のどこを見ても猫がいた。
「情ってやつは便利だ。断れない人間から先に食い散らかす。」
十九匹になった頃には、かわいそうより先に金額が口を開いていた。
エサ代、月十一万。
猫砂、三万。
ワクチン、通院、ノミダニ駆除。
少し具合の悪い子が出れば、その月はさらに飛ぶ。
「え、今月こんなに?」
レジ袋を提げて帰るたび、沙織は同じことを言った。だが驚く資格なんて、本当はとっくになくなっていた。
部屋は常に獣臭と毛で重かった。床には砂が散り、カーテンは引っかかれ、来客は断るようになった。それでも一番きつかったのは、金が減る速さだった。
足りない月はカード。翌月も足りずにリボ。それでも足りず、消費者金融を一社。
「一回だけ埋めれば戻せる」
多頭飼育が崩れる時の言い訳は、たいてい家計簿より楽観的だ。
「優しさだけで飼えるなら、レシートってやつはこの世にいらない。」
深夜、沙織はキッチンの床に座り込んでいた。開いた袋から猫が顔を突っ込み、別の猫が足元で鳴いていた。かわいいはずの声が、その夜ばかりは催促に聞こえた。
「私、何やってるんだろ……」
捨てたくなくて引き取った。助けたくて断れなかった。そこまでは本当だった。
でも、助けるつもりで集めた命に、ちゃんと金も場所も時間も用意できなかったのなら、それは優しさだけでは済まない。
沙織が苦しくなったのは、猫が悪いからじゃない。“見捨てない自分”でいたくて、引き受けられる数を見失ったからだ。
「抱えすぎた情は、守るはずのものから壊す。」
止まるべきだったのは、二匹で迷った時じゃない。三匹目の相談が来た時点で、断るか、保護団体や里親探しに回すべきだったってことさ。助けるってのは、全部抱えることじゃない。自分の金と部屋と手の数で守れるぶんを見極めることなんだよ。優しさってやつはな、引き受ける数を間違えた瞬間から、ただの無計画に落ちるんだ。

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